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スポーツニッポン 連載 「母」 2002.8

今も聞こえるあのオフクロの・・・                            

           夫、子供に解放されて出てきた“色”

 わずか12歳で傑作人形劇「ひょっこりひょうたん島」の主題歌でデビューを飾ってから40年。「魔法使いサリー」「サインはV」「キューティーハニー」などのアニメソング、「かっぱえびせん」「ミツカン味ポン」などのCMソングを歌い続けてきたが、かんがえてみればテレビアニメ、コマーシャルの歴史、という重さを抱えている。

 アニメソングと私本来のスタンダードジャズの融合が目標だ。物心ついたときから私のからだにはジャズが入っていた。父のかけるレコードで覚え、1歳8ヶ月で「ガイイズアガイ」「テネシーワルツ」などを歌っていた。この声を最初に発見したのが、母だった。もともと身びいきのない厳しい人なのだが、「陽子の声は何か違う。どう考えても違う」と思ったそうだ。子供の頃は歌うか笑うか。怒ることを知らない子だった。母がまた私に輪をかけて明るい。ケッケラケッケラ、キャッキャッ笑っている。しつけは厳しく、よく怒られたが、すぐケロッとしてキャッキャと笑う。

 母は父が亡くなる8年前までは家、主人、子供を守る事のみに没頭した。父も母も一生懸命親をしようとしていた。理想的な親でありたいという努力をしていた。母は小6の時に実母を亡くし、父は兵隊で死んだ実父の顔を知らなかったから、余計その気持ちが強かったのだろう。

 母親になるということは、自分の子供もよその子供も分け隔てなくいろんな人間の親になることだと教わった。自分が2児の母になってみて、わが子さえよければ人の子がどうでもいいという考えの人が多いことに驚いた。私たち兄妹の友達が悩んでいれば一緒に食卓を囲んで聞いてやり、ハッと気づけば明け方だったりしたものだった。

 かといって姉御肌ではない。普通の主婦。料理や裁縫や染物など家庭でできることは常に創意工夫を怠らなかった。主婦は外に職業を持つわけではないから、色でいえば無色。ただただ支えるだけの存在だ。母を見て思ったのは、この色のつかない時期が人間はとても大事なのではないかということ。夫や子供に尽くす時期を邪念を捨てて没頭する。それがゆくゆくは自分の色へとつながっていく・・・。

 父が亡くなって1人になった時間をどう生きるのか心配だった。「私だったら写経するなあ」と言ったら「陽子、暗い!」と笑われた。今は日舞とフラダンス。背中はしゃんとなり歩くテンポは83歳なのに私よりも速い。夫や子供に解放され今ようやく母なりの色が出てきた。見事な自分1人の時間の生き方を見せてもらっている。



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